桐生一の出場OK「連帯責任」問わず(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース |
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桐生一の出場OK「連帯責任」問わず(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
反論が多い模様。
とにかく、本来の「野球部」としての活動とは関係のないところであっても、組織に所属する一人が犯罪を犯したのだから連帯責任を、というのが世論なのか?
だったら、秋葉原の彼の派遣会社と、その派遣先の会社だって、連帯責任をとるべきだと糾弾されるべきなんだろう。高校と会社を一緒にするな、とかいわれそうだが、一方で彼は仕事上のトラブルを直接的なきっかけとして凶行に走ったというつながりの強さもある。
こういうところで「連帯責任だ、全員で責任取れ」と大騒ぎしている連中、いざ自分の周囲で不祥事があれば「それはアイツの自己責任だ俺には関係ない」とか真っ先に言いそうだなと思うのは気のせいだろうか。
Re: 友達がいない
友達は湧いてくると思ってるなら |
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一生できんよ。
友達は作るんだ。
勘違いしてはいけないが、「友達になってくれ」とか気色悪い台詞を言う必要はないんだ。
ただ「彼は友達だ」と決めればいいだけだ。
その決め事に不都合が生じたら、「彼は友達ではなかった。なくなった」と決めればいいだけだ。
NIKKEI NET(日経ネット):社会ニュース−内外の事件・事故や社会問題から話題の ニュースまで |
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全国2万河川の管理状況を調査 国交省、神戸の事故受け
子供3人を含む5人が死亡した神戸市灘区の都賀川の水難事故を受け、国土交通省は30日、全国に計約2万1000ある一級、二級河川の管理状況を緊急に調査すると発表した。
調査は都道府県や市町村など河川管理者に質問状を送付。河川が散歩道やキャンプ場などの「親水空間」として利用されている状況や過去の急な増水例などを尋ねる。
また同省が昨年ガイドラインとして発表した増水事故防止対策の実施状況も調べる。「過去に増水が起きた場所に危険性を知らせる看板を設置する」「増水時の河川利用者への注意喚起方法について検討する」など8つの項目について、進ちょく状況の報告を受ける。(30日 22:19)
馬鹿らしい。
人が流れる度にこんなことして税金浪費するのかね。
1つの事故も起こらない世界なんか目指すものでもないだろうに。
Re: お悔やみ申し上げます
免罪符のつもりで書いてるだけだろうよ |
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その話題に触れて、その一言でも書いておかないとただの野次馬だと思われる、と思ってんじゃないか。
どう転んだって野次馬なんだから、そう見られたくないなら口を噤めばいいものを。
あるいは、「拝啓」とか「以上、よろしくお願い致します。」みたいな定型句として、何も考えずに書いているか。
どっちにしても、実のところは何もわかっちゃいないんだろうが。
Re: 秋就活
会社は学会や研究室とは違う |
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文書での契約があってこそ人が動く。したがって、
>二面性ってやつだろうか。
二面性なんてこたないだろう。
何か契約しようとして、まだ決定していなくて、2つを比べている。それだけ。
内定先に「他にも受けてますか?」と言われたら、「もちろん」と答えていいと思うね。
会社は仲良しクラブじゃないから、それを裏切りとか不誠実と言われる筋合いはない。
しかし現実は、意外と仲良しクラブだったりするんだな、会社というところは。
そして僕はそういう空気を意図的に読まないから、裏切り者のように言われたりしたんだなきっと。1ミリも気に病んじゃいないけどさ。
その人を、僕は見ることが出来ない |
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日記 |
豪快に寝坊して、起きたら11時30分だった。
歯磨きしながら、いっそ開き直ってトンカツでも食って行こうか?とか考えたが、それは昨日もやったから止めておくことにした。
せめて昼休みが終わる前に会社に着こうと急ぐ。
通勤時間と言えない時間帯の通勤電車の車内は空いていて、僕は長椅子の端の席に座っていた。
上野でドアが開き、何人か乗客が乗り込んできた。ひどく腰のが曲がり、腰と頭が同じくらいの高さになっている婆さんが乗り込んできた。紫色のパンタロンに合わせた同系色のメッシュのブラウスは、40年前ならセクシーと言えたかも知れない。
その後ろから、青大将のような色の作業着の上着を羽織った爺さんが続いて乗り込んで来た。爺さんは濃い緑のズボンをロールアップし、靴下をくるくると丸めて踝を出していた。ある意味かわいい着こなしで、滑稽な気がした。
一瞬、婆さんの連れ合いかと思ったが、紫の婆さんは傍らをすり抜けた爺さんを一瞥して、そのまま別の方向に難儀そうに進んで行った。
電車のドアが、独特の空気が抜けるような、-いや実際抜けているのだが、プシュウ!という音を発して閉まる。
モーターが軽く唸り、ガタンゴトン、とありふれた音響だけが車内の空気を支配する・・・かに見えたが、違っていた。
「明日、朝9時だからよう!」
突然に大声が響いた。明瞭でハリのある声でそう語りかけたのはさっきの爺さんだ。電話でも始めたか。
「70人だ。向こうに110人いるから、70人で行く。明日は新宿で9時ね?」
「え?」
「そう・・・そうだよ、だからあいつらはちゃんと見てやいないんだから」
「とにかく9時。間違いないでな」
「だから、入り口に全部、チェックするための・・・え?」
「うん。あー、それは・・・・それはちょっと、何とも言えないな」
「そうだ、新宿西口の大ガードあるだろう。そこで夜10時に・・・。うん。」
身振りも交えながら、延々と、会話を続けていた。現地集合の仕事のことらしい。
相手はいまいち飲み込みが悪いようで、何度もの念を押しながら。時には、聞き返されたり、反論もされたりして答えに窮すことも。
爺さんを見ると、もちろん電話はしていなかった。
しかし、間違いなく会話している。下手な芝居ではない。話は、冗長だったが一貫していた。
どう考えても、見えているし、聞こえていた。その爺さんには目の前の相手が。
もちろん、僕には何も見えないし聞こえない。
その爺さんの話し相手は、そこにいたのか?いないのか?爺さんだけが見えているのか、僕だけが見えていないのか?周囲の人は、爺さんを一瞥して目をそらしたりするが、その反応は、「独り言を言う老人」に向けたものか、「大きな声で会話するうるさい老人たち」に向けられたものか、どちらともとれるものだ。
もちろん、僕は自分の認識をやたらめったらに疑うほど病んでいないから、「いない」と自信を持って断言できる。
しかし、それは状況次第だな、とも思った。
アチョプ!マウマウ! |
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ゴンズイって漫画があったよね。あんなに衝撃的だったのに誰も覚えてないんだな、と思っていたが・・・
インターネットはやはり、他にはない何かを提供してくれているのだと思った。
雑記帳:ハゲ頭集まり、吸盤綱引き 青森 - 毎日jp(毎日新聞) |
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雑記帳:ハゲ頭集まり、吸盤綱引き 青森 - 毎日jp(毎日新聞)
戦中戦後の混乱を生き抜き、高度経済成長を支え、壮年期にバブル崩壊。そしてトドノツマリがこれだ。
どうしようもなくくだらない。それに引き換え、悩める若者の高尚なこと!
意味など後で問え、とこの爺連中なら言うかも知れない。と思った。
・・・持ち上げ過ぎたかな?
Re: だから僕は死を恐れる
たぶん、安心していい |
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意識できない何物かが在ったとしても、それは当人からすれば無いに等しい。
もしあなたがインターネットを二度と見ないとさっき決めて、その通りにしているなら、この返信があなたにとって無いものであるように。
だから死後には自分には無が待っていると考えて、何ら差し支えない。炭と灰になった組織に意識が宿ることがない確かさは、保証と言ってよいレベルだ。もし僕が間違っていたら、死後の世界から祟ってくれ。
天国や地獄や輪廻の恩恵は生きている人間だけが授かれるものだ。あなたがいまそうであるように。
あー、でも「無」=全て満たされている、というのは言葉遊びとしてはイマイチじゃないか?誤った三段論法だ。
「全て」「満たす」この2つはともに、前提となる基準が必要だ。前提が必要な以上、無の状態では成立しない。
無の状態で満たそうとすると何が起こるか、僕は知っている。「ぬるぽ」だよ。きっと、この掲示板にはこの意味がわかる人が少なからずいそうだな。
だとすると、目的は「全て満たされる」で「無」は手段のようだから、「死後は無だろうか?」の前にまだ宿題があるみたいだね。がんばってください。
Re: どう見ても中二病のぼやき
逃げずに立ち向かうために必要なのは |
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自信だとは思わないね、僕は。
僕は、逃げ出したくなった時に念じていたのは、「俺はきっと出来る」といった自信じゃなく、諦めだ。
「出来ないかも知れない。まあ、僕は天才でも何でもないから出来ないことくらいある。仕方ない。出来なかったらゴメンで済ますしかない」
結果は、上手く転んだこともあれば、思ったとおりと言うべきか、失敗したこともある。
ま、そう言ったところできっと君の人生の参考にはならないのだろう。
なぜなら、どこかで誰かに対面して似たようなことを言ったら「そうやって開き直れる勇気がある人はいい」と言われた。これは勇気とは言わないと思うが、そこまで言われちゃもう勝手にしてくださいだ。
ところでさ、早く死にたがってるようだけど、今日という日でさえ「何もやらなかった」と後悔混じりに見えるのに、いますぐ死んで、首吊りとかなんとか、まあ手榴弾で爆死とかでない限り、死の決定の後に数秒以上の「間」があると思うんだけど、その今際の際に「人生において何もやらなかった」と後悔しない自信はあるのかな。だとしたら、これまで随分充実してたのだろう、少なくとも何か自分としては納得できる部分で。羨ましい話だ。これは本心から。
ハイリハイリフレハイリホー♪ハリハリフレッホッホー!HAHA! |
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日記 |
さてと。
日記を書かなくては。
今日は、こんなことを思い出した。
小学校で、定規の使い方を習ってしばらく経った頃だ。
目の前にある定規の1mm、1cm・・・という目盛りを見て、誰がこれを決めたのだろう、なんて誰もが考えるであろうことを思案していた。
そして、もしこの1mmという長さがこれの2倍の長さだったら(つまりメートル原器の長さが2倍、と今なら表現する)、世の中はどういう大変なことになるだろう?と考えた。で、全部同じく2倍なら別に問題ないのか、と考える。
そんなことを考えると今度は、「じゃあ、僕の1mmだけが実は他人の2mmだったら?」そう考えた。
だって、この1mmという長さは、所詮誰かがどこかで決めたものであって、この世に最初から存在しているような絶対のものではないのだろ?だったら、僕だけ思い違いをしているかも知れない。
僕が1mmと思っている大きさは、この定規の1mmと一致しているが、この定規の1mmを見て「ああ、これくらいだ」と思っている長さは、「1mmだ」としか表せない。他人の見ている1mmと一致していることを確認したいが、「1mmだよね?」という確認は無意味だ。「爪の横幅の1/10くらい」(この頃分数は知らないがな)とか、そういう直接触れるものとの対比にすれば、視覚によらないで他人と話が出来るが、しかし爪の横幅の認識も僕のそれと他人のものは違うかも知れない。
ぞっとした。
僕は、「すべてを勘違いしていて」他の人もすべて勘違いしていて、お互いに、違う「1mm」を基準に話をして、通じた気になっているが、実はぜんぜん違う長さで話をしていて、そのズレを確認することが出来ない。
何せすべてだ。何から何までだ。鼻くその直径から100mトラックまで、すべて、実は皆が皆、「自分尺度」なのだ。
100mを走る時間があまり変わらないことは、自分尺度のズレを否定してくれない。時間も同様かも知れない、と当然思い至るからだ。僕の1長さ単位は彼の2長さ単位で、僕の2時間単位は彼の1時間単位。
まずい。これはどうしようもなくまずいぞ。
と、しばらく恐怖に慄いたあと、ふと、「じゃあ、結局問題ないってことじゃないか」と気が付いた。
安心と同時に、すばらしい発見をしたと、今度は嬉しくなった。
そして、急ぎ家に帰り、もっと拙い言い方で母親に熱烈に説明したりしたが、あまり取り合ってはもらえなかった。最初は不満だったが、うん、確かにどうでもいいことだとも思えた。
日記を書いてみたはいいが、僕の日記は、いつも話がもの凄く古いな。
でもいいじゃないか。今日はこれを思い出した、という話だ、だからこれは今日の話だ。
Re: よし。
しがらみがないのと、他人を無視するのは違うね |
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こんな風に返信したら相手は気分を害さないだろうか、と考えながら言いたいことを我慢して社交辞令を並べるのもしがらみだろうけど、散々迷って結局返信を止めるのもまたしがらみだろう。
なので、ろくに相手の反応を考えずに返信するし、返信があっても気にしたりしなかったりするのが、ここの使い方なのかと理解した。
僕は自由だ!と嘯くことにする。