ハイリハイリフレハイリホー♪ハリハリフレッホッホー!HAHA! |
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日記 |
さてと。
日記を書かなくては。
今日は、こんなことを思い出した。
小学校で、定規の使い方を習ってしばらく経った頃だ。
目の前にある定規の1mm、1cm・・・という目盛りを見て、誰がこれを決めたのだろう、なんて誰もが考えるであろうことを思案していた。
そして、もしこの1mmという長さがこれの2倍の長さだったら(つまりメートル原器の長さが2倍、と今なら表現する)、世の中はどういう大変なことになるだろう?と考えた。で、全部同じく2倍なら別に問題ないのか、と考える。
そんなことを考えると今度は、「じゃあ、僕の1mmだけが実は他人の2mmだったら?」そう考えた。
だって、この1mmという長さは、所詮誰かがどこかで決めたものであって、この世に最初から存在しているような絶対のものではないのだろ?だったら、僕だけ思い違いをしているかも知れない。
僕が1mmと思っている大きさは、この定規の1mmと一致しているが、この定規の1mmを見て「ああ、これくらいだ」と思っている長さは、「1mmだ」としか表せない。他人の見ている1mmと一致していることを確認したいが、「1mmだよね?」という確認は無意味だ。「爪の横幅の1/10くらい」(この頃分数は知らないがな)とか、そういう直接触れるものとの対比にすれば、視覚によらないで他人と話が出来るが、しかし爪の横幅の認識も僕のそれと他人のものは違うかも知れない。
ぞっとした。
僕は、「すべてを勘違いしていて」他の人もすべて勘違いしていて、お互いに、違う「1mm」を基準に話をして、通じた気になっているが、実はぜんぜん違う長さで話をしていて、そのズレを確認することが出来ない。
何せすべてだ。何から何までだ。鼻くその直径から100mトラックまで、すべて、実は皆が皆、「自分尺度」なのだ。
100mを走る時間があまり変わらないことは、自分尺度のズレを否定してくれない。時間も同様かも知れない、と当然思い至るからだ。僕の1長さ単位は彼の2長さ単位で、僕の2時間単位は彼の1時間単位。
まずい。これはどうしようもなくまずいぞ。
と、しばらく恐怖に慄いたあと、ふと、「じゃあ、結局問題ないってことじゃないか」と気が付いた。
安心と同時に、すばらしい発見をしたと、今度は嬉しくなった。
そして、急ぎ家に帰り、もっと拙い言い方で母親に熱烈に説明したりしたが、あまり取り合ってはもらえなかった。最初は不満だったが、うん、確かにどうでもいいことだとも思えた。
日記を書いてみたはいいが、僕の日記は、いつも話がもの凄く古いな。
でもいいじゃないか。今日はこれを思い出した、という話だ、だからこれは今日の話だ。
投稿者 xrny3v | 返信 (1) | トラックバック (0) | 2008/07/23 16:35:21